圓經寺 当山の歴史
当山は、正元元年(1259)稲葉山城主 二階堂出羽守 行藤が父母追善の為、鎌倉より井ノ口村(岐阜市)に一寺を移転創立 天台宗の善海国師を招請し、長栄山 妙法寺として開かれました。
璽来、美濃一国の禄所として星霜250余年隆盛を辿ってまいりましたが、二階堂家没落と倶に寺運も、また衰退してしまいました。
大永6年(1526)京都大本山 本圀寺 十四祖蓮光院日助大僧正の資、正行院日栄上人(高祖直受藤原益行の後胤)が荒廃した当山を天台宗より日蓮宗に改宗 開基 二階堂行藤公の法号【圓經院殿一峰道雅大居士】より寺号を圓經寺に改め 三融山と号して自らが開山となりました。
その後、廃仏毀釈等の影響も受けて衰退、盛運をくりかえしてまいりました。
しかし、第二次世界大戦により昭和20年(1945)7月9日夜、岐阜市は米軍機による大空襲を受け圓經寺もまたすべて灰燼に帰してしまいました。
その後、師老僧、龍仁院日運(渡邉日運)上人をはじめ檀信徒の方の献身的な努力によって修復をすることができ、平成11年(1999)には日蓮宗立教改宗750年並びに圓經寺改称改宗500年の慶讃事業を無事終えることができました。
宗門では、令和3年(2021)宗祖日蓮大聖人 降誕800年を迎え、また、新天皇即位、並びに、新元号発布の良き機会に合わせ、日蓮聖人降誕800年 三融山 圓經寺 法燈継承式 記念事業を、立ち上げ、令和元年(2019)5月12日に大法要を挙行し無事圓成することができ、三融山 圓經寺 第27世 龍誠院日寛(渡邉泰秀)が法燈を受け継ぎ住職となりました事、厚く御礼申し上げます。
また、これよりは今一度、襟を正し、お題目修行に励んでいき、檀家の皆様と共に、宗門の為、当山が新たなる盛運に向かっていきますよう精進してまいります。
合掌
令和元年5月12日
三融山圓經寺第27世渡邉 泰秀 |